2017/08/24

伝統音楽とナショナル・アイデンティティー スウェーデン音楽とウェールズ音楽を観察して

伝統音楽とナショナル・アイデンティティー
   スウェーデンとウェールズを観察して

移民問題に揺れるヨーロッパ各国を旅する中で、多くの伝統音楽家から移民問題についての意見を聞く機会があった。移民を積極的に受け入れることに対して反対の伝統音楽家からは、移民はヨーロッパ文化とは縁遠い中東からやってきて、受け入れ先の言語を学ばず、働かずに福祉を頼り、時に犯罪を引き起こすという主張を聞いた。
彼らによると、移民は将来の社会保障や治安の重大な脅威であるという。彼らはなぜそこまで危機感を募らせるのだろうか。それは彼らが伝統音楽家であることと関係があるのだろうか。

そこで私はひとつの仮説を考えた。自国の伝統音楽を演奏する音楽家は保守的な政治思想を持ち、外国の伝統音楽を演奏する音楽家はリベラルな政治思想を持つ傾向があるのではないだろうか。

 自国文化の継承や保存に重点を置く伝統音楽家が保守思想を持つことと、外国の音楽を演奏する伝統音楽家が自らの文化を誇りに思うのと同じくらいその対象の国に敬意を払うことは、理にかなっている。それが、伝統音楽とナショナル・アイデンティティーというテーマについて考えるきっかけとなった。

私は移民問題で揺れるスウェーデンで、近現代史において伝統音楽と政治がどのような関係にあったのか、インタビューを行った。文献や資料を当たったわけではないが、以下は私が得た限りの情報である。

かつて17世紀にはノルウェーとフィンランドの大部分を支配下に置いていたスウェーデンが多くの領土を手放し、経済的にもヨーロッパ後進国となっていた19世紀末〜20世紀初頭、スウェーデン人の自信と誇りを取り戻すために、 政治主導でスウェーデンの伝統的な文化や習慣に目を向けるようになった。当時の伝統音楽家は懐古主義や平和な田園と森林といったロマンティシズムの象徴として考えられた。それは画家のアンデシュ・ソーン(Andes Zorn, 1860-1920)が農村の風景や伝統音楽とダンスを描いたり、1906年に初めての伝統音楽の集いスペルマンズ・ステンマ(spelmansstämma)のパトロンとなったこと、1922年にスウェーデンの伝統音楽曲集スヴェンスカ・ローテル(Svenska låtar)が出版されたことにつながってゆく。

その後ヨーロッパ大陸は第一次・第二次世界大戦を経て荒廃したが、スウェーデンは戦争に関わらなかったため国力が温存され、ヨーロッパの復興需要を満たすことで工業国として飛躍的な経済成長を遂げた。その期間、伝統音楽は政治とは無関係のものと見られていた。伝統音楽が再び政治性を帯びるのは、1960年代になってからである。アメリカでベトナム反戦運動と結びついたヒッピー運動が起こり、反体制的なフォーク音楽はヨーロッパにも伝播した。スウェーデンでは、権威主義を離れて自然で伝統的なものを求める文化的潮流の中で自国の伝統音楽を「発見」した都市部の若者たちは、外国の流行や文化的影響を受け入れながらリベラルで自由な発想で新しいスタイルの伝統音楽を盛り上げていった。
 そのため、現在の60-70代の伝統音楽家はリベラルな思考を持つものが多いとされる。その後の30-40代の世代では、世界でも先進的でリベラルなスウェーデンの空気を吸いながら育ったため、政治と切り離して音楽を考える傾向がある。
 しかし2000年代に入り移民とスウェーデン住民との文化摩擦が起こる中で、過激な右翼思想を持った政党Sweden Democratsが議席数を伸ばすなど保守の声が次第に強くなり、ある代表的な伝統音楽家がSweden Democratsを支持する過激発言をするなど、一部の伝統音楽家は保守に共感を感じる傾向がある。
伝統音楽は世界的な潮流である保守とリベラルへの社会の分断の中で、再び政治利用される可能性が出てきているという。

私は象徴的に保守思想とは、我と彼、こちらとあちら、というように違いを区別し、「こちら側」の利益を追求する思想であり、リベラルとはその境界を溶かし、全体の利益を追求する思想だと捉えている。それでは、私が問題提議したような、伝統音楽と保守思想の関係はあるのだろうか。

このテーマを考えるヒントになったのが、ウェールズのフルート奏者ケリ・マシューズ(Ceri Matthews)氏の伝統音楽についての発言だった。彼によると、20世紀後半までウェールズに音楽はあったが、「ウェールズ音楽」はなかった。
ウェールズ文化は20世紀初頭のウェールズ語復興運動やブリテンからの文化的な独立を保とうとする風潮の中で意識化され、その音楽は1970年代以降は世界的に隆盛を誇ったアイルランド音楽から自らの音楽を区別するために、明確に区別されるようになった。
ウェールズの文化祭Eisteddfodでは、ウェールズ語のみが話され、積極的にウェリシュネスを表現することが求められる。

アイルランドにおいても、19世紀にブリテンからの独立運動の機運の高まりから、アイルランド独自の音楽・ダンスを定義し、それ以外のものを排除、新たな「伝統的」音楽やダンスを創造することでアイリッシュネスを高揚させた。このような「アイリッシュネス」は次世代によって再創造され固定化され、やがて真実の伝統となり、アイルランド人のナショナル・アイデンティティを強固なものにした。「アイルランドの伝統音楽」は国民国家の誕生に関連して生まれた20世紀の伝統である。

しかし、何かの強大な文化へのアンチテーゼとしての文化は、意識する他者があって初めて自らが定義されるという点で自己矛盾をはらんでいる。それは、この世に女性という性がなかれば、男性は自らの性を定義できないことと同じである。現実の世界は国境という政治的な境界線によって区切られているのではなく、人は陸や海の国境を越えて移動し、 言語・民族・文化は混ざり合い、グラデーション風にまだら模様に存在している。そこを人為的に区切るのが国民国家である。

先述のMattews氏は言う。「私は自らをWalesという単語で語らない。それは、古い英語で『外国人』を意味する言葉だからだ。イングランド人があるから我々があるのではない。我々はカムリ(Cymru)だ。」

Matthews氏は、音楽においても、商業主義によって巨大となったアイルランド音楽のフレームワークを使ってウェールズ音楽を定義するウェールズの伝統音楽家の傾向に注意している。それは20世紀後半の発想で、伝統的ではないからだ。

現段階で私の疑問に答えを出すことは早計だとは思うが、以下のように考えている。

「〜の伝統音楽」という概念は自らを他と区別するために作られ、政治的な脅威が高まるとき民族主義と結びつく傾向がある。

伝統音楽と保守思想は歴史や民族文化を元にした物語を作りやすく、懐古主義的でロマンティックであるために人を惹きつけるが、広く周辺の音楽を見れば、現実の文化は多様で渾然としており、明確に線引きをすることはできない。そのため、伝統と民族主義を関連付けて考えることは現実の認知を歪めて、物事を単純化するおそれがある。

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