2017/07/09

アイリッシュ・セッションの本質

旅行に出て17日目、アイルランドに来ています。

今週はMiltown MalbayでWillie Clancy Summer Schoolというアイルランド最大のサマースクールがあり、小さな街に世界中から数千人の人が集まります。日本人、韓国人、台湾人にも会いました。アイリッシュ・ミュージックは本来は小さなコミュニティの中での音楽でしたが、今や世界的な音楽となり、日本も含め世界中に素晴らしい演奏者がいます。その演奏レベルは本場アイルランドに決してひけを取らないものです。

今回はミルタウンで参加したあるセッションが印象的で、日本とアイルランドのセッションの違いについて考えるきっかけになったので、シェアしたいと思います。

そのセッションは10人ほどで、有名な楽器の名手も含まれていました。そこでは、演奏の合間には必ず周りの人との長い語らいがあり、歌の独唱があったり、ストーリーを語ったり、子供が習いたての曲を披露したり、ジョークを語って爆笑が巻き起こったり、参加者が突然踊り出したりと様々な要素があり、自由で温かい雰囲気で進行し、その場の誰もが敬意をもって受け入れられている雰囲気がありました。

これが本来のアイリッシュ・セッションの姿なのだろうと感じました。アイリッシュ・セッションの中で「曲を演奏すること」はその一要素でしかなく、セッションとは社交であり、その場にいる人と「一緒に」、音楽で交流し、歌やダンスや面白いジョークや、お互いの持っている才能や知識を分かち合う場なのだということです。

セッションはアイルランド人の文化的な文脈の中に存在し、そこから離れてしまうと本来のものとは違ったものになってしまいます。我々外国人(日本人)は商業的な録音物のトップ・プレイヤーから間接的に音楽を学び、演奏技術や曲の習得に対してアイルランド人以上に真剣な態度で取り組みます。日本のセッションは、演奏の質はとても高いのでしょうが、会話のコミュニケーションは少なめで、交流よりも音楽を学んだり上達することが目的になっているように思います。アイルランド人のように公衆の前で人のプライバシーに立ち入った話をすることを私たちは無礼と受け取りますし、親しい人であっても距離感を保つ傾向があり、コミュニケーション・スタイルが根本的に異なるので、アイルランドのやり方をそのまま日本で再現すると不自然さやぎこちなさが生まれるでしょう。そのためアイルランドで実際のセッションに参加すると、音楽は理解できても、会話やジョークについていけず、その全体の文脈から自分が外れていることに直面してしまいます(少なくとも私は)。

アイルランド人の語るジョークやストーリーテリングは、英語が理解できることはもちろん、その文化的な背景への理解がなくては楽しむことができません。そのため言語的な壁がないはずのアメリカ人にさえも理解ができないことが多いとアイルランド人の友人から聞きました。

本当の意味でアイリッシュ・ミュージシャンになるには、アイルランド人のように英語を理解し、飲み、語り、歌い、踊り、生活することも、演奏と同じくらい大事な要素なのでしょう。それは我々外国人にはとても難しいことです。ですが、そのように生真面目に考えるのもまた、日本人らしいのかもしれません。せめてアイルランド人にとってのセッションが何かを理解し、そのスピリットを忘れずに日本に持ち帰りたいと思った次第です。

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