2016/09/15

音楽家とお金

音楽家がどうやって収入を得て、生活を成り立たせているか、というのは一人の音楽家として大変に触れがたい話題だ。

音楽家は音楽を愛して、音楽のために人生を捧げている人種なのだから、お金儲けや日々の生活のことよりも自分の音楽をどう深めていくかに心血を注いでいる。そう、思われているフシもある。

世間は音楽家を僧侶か何かだと思っているのかもしれない。だから、夢を壊すようなことは言ってほしくない。音楽家もそれを敏感に感じ取って、あまり生活臭いことや生々しいことは言うのを避ける。

だけど現実問題、一人の社会人として生活していかなければならない。親にいつまでも頼っているわけにもいかないし、携帯も必要だ。楽器だってお金がかかる。年頃になれば結婚だってしたいし子供だって欲しい。

僕の音楽仲間で、「自分はお金儲けのために音楽をやっている」と放言した人がいた。 その割に全然稼げている様子はなかったけれど(笑)。
反対に、素晴らしい音楽をしているのにお金と潔癖でいたがっている人もいた。

あるいは、自分はO万円以下の謝礼の仕事は絶対に引き受けない、 という人もいた。生活費はアルバイトして稼いでも、音楽は自分だけのものでいたいという人がいれば、どんな屈辱的な仕事でもやるから、音楽以外の仕事は絶 対にしたくないという人もいた。色々な人がいるもんだ。

周りの音楽家を見ると、プロとして活動していても、この業界は全然食えないんだと、つくづく思う(改めて言うけれど、だからといってその人の音楽の価値とは別の問題だ)。

だからみんなレッスンをしたり、CDを売ったり、色々な収入を組み合わせてなんとか続けている。
食えない世界なのに、かたくなに演奏だけで生計を立てようとすると、歪みが出る。

ライブのお客様の顔が1000円札に見えると言った人もいた。ライブでの演奏の良し悪しよりも入場者数で一喜一憂する。ライブ当日に雨が降ると気分最悪に なる。ライブ会場で食事が出るかどうかを確認せずにはいられない。そうなると、現場が殺伐としてくる。表情に出るし音に出る。

昔、ある先輩音楽家が「あの人は商業主義で音楽をやっている」と他人のことを批判していたが、流行歌を演奏したからと言って稼げる金額など知れている。

ある人は、自分の生徒が他の先生と会ったというだけで無視したりいじわるをしたそうだ。そうやって生徒を囲い込んだって、レッスンできる生徒数には限界がある。 ほかにもライブのチャージバック率がどうとか、CDの販売手数料だとか。

限られた資源を奪い合おうとするから、そうやって気持ちのゆとりがなくなるんだ。

音楽家は演奏の技術や音楽の仕組みは習っても、お金の稼ぎ方は習わない。
だから、自分の能力をお金に変えるのが上手な人がいれば、下手な人もいるんだな。

お金が無いことは不自由だ。
一つはしたいことができないから。
もうひとつは、したくないことをしなければならないから。

僕はどちらもゴメンだ。
 それに40歳や50歳にもなって、数千円で傷ついたり傷つけたりするのは大人としてみっともない。そんなことがしたかったんじゃない。

「プロミュージシャン」の定義が「演奏を主たる収入源とするもの」とするなら、それはすごく明快でいい。

だったら僕は必ずしも「プロミュージシャン」でなくてもいいと思う。素晴らしい音楽家ではありたいけれど。

そんなことより、自分が今一番したい音楽をして、ライブの主催者もお客様もハッピーになること。たとえ規模が小さくでも、そのサイクルを回してゆくことが幸せな音楽活動を続けることなんだと思っている。

だから、それを可能にしてくださっている主催者やお客様にはいつも感謝の気持ちを持っていたい。

小さなマーケットの中で、 誰が多く仕事を取ったとかどうとか考えるよりも、マーケットの規模を大きくしなきゃ。みんな食えてないなら、みんなが食えるにはどうしたらいいかを考えたい。

 競争力よりも周りの人を応援できる力をつけたいと思うこの頃である。

2016/09/05

ティン・ホイッスルはオカリナのようになれるか

日々、ティン・ホイッスルやアイリッシュ・フルートなどのケルトの笛を日本に広める活動をしている。

僕は個人的な音楽の好みはケルト&北欧の伝統音楽に偏っていて、 それ以外聴くことはほとんどない。演奏の方面でも、ポップスやクラシックや映画音楽をケルトの笛で吹きたいとは全然思わない。

しかしケルトの笛屋さんを経営するにあたって、楽器というのは単なる道具なのだから、僕の個人的な音楽の嗜好を押しだすと、返ってこの笛の用途を狭めて、お客様を縛ってしまうことを危惧した。

例えばリコーダーが最も華々しくその性能を発揮するのは古楽だし、ティン・ホイッスルが一番魅力的に聞かせられるのは伝統音楽だ。そして、それらの音楽を演奏するために練習している人が最も多いだろう。それは事実なのだから、笛屋さんでは伝統音楽の普及というソフト面にも力を入れている。たとえば無料の楽譜ダウンロードや、CDや国内外の演奏者の紹介だ。

だがティン・ホイッスルを吹きたい人は、伝統音楽愛好家だけではない。映画音楽やアニメやゲームを通じて出会う人も多いし、クラシック音楽を背景に持つ方が吹くケースも多い。だから、色々な使われ方があっていいと思うし、むしろそのほうが楽しい。

伝統音楽がマイナージャンルな日本においてこの楽器を普及させるには、伝統音楽だけではない魅力や楽しみ方を発信することが必要だ。
だから、僕はフルートやリコーダーの世界に顔を出し、その楽しみ方を学んできた。「ケルハモ」は、伝統音楽に壁を感じているクラシックやアンサンブル経験者にも入りやすい、世界にはまだない試みだと自負している。

※ケルハモ…ティン・ホイッスル(またはリコーダー)による、合奏曲の楽譜の製作販売。

https://celtnofue.com/store/cellhamo/celhamo-about.html

先日、オカリナの通販では国内最大手と思えるテレマン楽器を訪問し、国内のオカリナ愛好家のことや楽器販売の成功の秘訣を伺った。オカリナの成功方法はティン・ホイッスルでは同じように使えるわけではない。

オカリナとティン・ホイッスルとで状況が違うのは、 以下4点だ。

(1)年齢層
(2)プロ・プレイヤーの数とアマチュアの層の広さ
(3)フェスティバルで発表する文化。
(4)国内メーカーの豊富さと品質の高さ



オカリナは中高年が多く、ティン・ホイッスルは、それに比べると若い人や学生が多い。
 プロ奏者やスタープレーヤーが少なく、個人で楽しみ、セッションにも参加しない人が大半だ。

何しろオカリナには、フルートやリコーダーと同じ、同種楽器での合奏の文化がある。そして、伝統音楽やクラシックなどの特定の音楽的な背景がないために、むしろどんな音楽でも楽しめる。
音域はやや狭いがすべての半音階が出るので、ポップスやジャズやクラシックなどジャンルの対応範囲が広い。その上、リコーダーやフルートに比べて手軽に楽しめる印象がある。楽器の値段も、全体的には安い。

僕は個人的にはオカリナの音色はピュアすぎて面白味に欠けるし、歴史や文化的な背景がない音楽には興味が持てないのだけど、音程が自在に操れて歌声のような人間味があり日本人の感性には良く合うのは良く分かる。

僕はティン・ホイッスルに楽器としての魅力や可能性を感じているので、どんな形であれこの楽器が
多くの人に親しまれて欲しいと思っている。楽器はすでに充分に性能が良いものが出ているので、オカリナのように広がるためには、魅力的な演奏者の登場、魅力的な楽曲、魅力的な楽しみ方が不可欠だ。先日の豊田耕三君のアイルランドのコンペティション入賞が象徴するように世界に通用する日本人演奏家がいることは素晴らしいことだと思うし、アイリッシュに限らず、この楽器を魅力的に演奏する日本人奏者がもっともっと続いてほしいと願っている。そして、応援もしたい。

また、アメリカのように世界に通用する国産ティン・ホイッスル工房がどんどん出現してほしいが、それはまず日本国内の市場が大きくならないといけないのだろう。


イタリアで生まれたオカリナが日本で独自の発展を遂げ、日本ならではの楽しみ方がされているように、伝統音楽が背景にあるティン・ホイッスルも、その枠を超えて日本独特の形で日本人に愛されることを願い、これからも普及に力を注いでゆきたい。