2016/01/15

珍惜生命

最近、ミニマリストというのが流行っているらしい。

要するに持ち物を少なく、やるべき事を減らして、受け取る情報を制限して、大事なことに集中しようということのようだ。

世の中に、モノも情報も溢れて、ストレスフルになってきたのだろう。豊かさを目指していた時代であれば暮らしや仕事が拡大すること幸福を意味していたけれど、今は豊かになり、むしろ煩わしいのだ。

僕自身もこれまでに買った膨大な量の無駄なモノを思うと、胸が苦しくなる。それを我慢していたら何百万円が手元に残っただろうか。

しかし、僕はそれ以上に時間や気力の浪費のほうが重大だと思っている。

無駄なものを買ったり管理したり処分するのに費やす時間、さらに言えば、そのお金を稼ぐのに使う時間のことだ。

たいていの人にとって、働くこととは時間をお金に変えることなので、無駄な買い物をすれば、それを処分するまでを含めて膨大な時間を捨てていることになる。

それを我慢したら、もっと働かなくても済むのに!

僕たちの周りには、一生かかっても読めないほどの本や雑誌、音楽に映画、娯楽、際限ない人付き合い。時間を奪うことに満ち溢れている。

お金は時間から生み出すことができるけれど、時間は命そのものだ。時は金なりどころの話じゃない。

僕が元気でいられる時間が残り40年だとして、24時間×365日×40年=350,400時間の貯金がある。多いような、少ないような⁉︎ でも、人生で一番若い今が一番価値がある時間なのは間違いがない。

もし、後から思い出すこともできないようなツマラナイ映画に2時間使ったら、それは寿命を2時間縮めたのと同じだ。
ツマラナイことに時間を潰すというのは、ゆっくり自殺するのと同じだ。

残り40年と言ったけれど、テロや災害や事故で若くして亡くなる人がいる。もし人生の時間貯金が残り24時間だったとしても、僕は残りを、本意でないことに時間を使うだろうか?

ジョブズは「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定を私は本当にやりたいだろうか?」という言葉を残した。いやはや、まったくその通りだ。

僕は、いや誰だって、いつ死んでもおかしくないと思うし、だからこそ、いつ死んでもいいように悔いなく生きたい。

そこまで時間を惜しんで何がしたいのか。必死にお金を稼ぐ?忙しく予定を詰め込む?ご冗談を。

人生を楽しむことだ。
人は命を楽しむために生まれてきたのだ。

美味しいものを食べ、楽しめることをし、旅をして、美しいものを見て、恋をして、好きな人と時間を過ごす。

でも、遊ぶばかりでは飽きてしまうから、自分の使命やライフワークを全うし、人の役に立ち、喜ばれる。これが仕事だ。仕事があれば人生はもっと楽しい。

一年が明け、ますます人生が短くなったと感じている。死がそこまで迫っている気がする。

だから、今年も本当にやりたいこた「だけ」やる。それが今年のポリシーだ。

この記事が、皆さんの寿命を縮めていないことを祈って。

0 件のコメント:

コメントを投稿